現代は退職後、社員雇用は非常に厳しい状況にあり、とても生きにくい世の中だ。
うまく採用されても、1年契約や派遣社員という不安定な雇用に甘んじるしかないことがほとんど。
このような状況の中、ラッキーなことに社員として雇用された時、きっとこのように思うのではないだろうか。
「やったー!!有難い!!頑張るぞーー!!」と。
採用されたときは感謝しかない気持ちになったはず。
だが、それって最初だけで感謝なんて続かないのが人だから。
しかし、
慣れることは成れることではない
社員として雇用されて、半年も経つ頃には仕事にも会社の人間関係にも慣れ、先輩社員たちと関わっていくうちに、次第に会社の不満が芽を出て、給与が安い!会社はわかってない!など、現状が悪いと言い出す始末。
社員として雇用された「あのとき」の感謝の気持ちは、過去のものとして記憶も思いも消え、ただただ愚痴を肴に酒場でダラダラと貴重な時間を放棄する一人の社員が生まれる。
無いものを探し(実際にはないものなどなく、愚痴をこぼしている本人が創り出した思い込み)、今あるものを有難く思えない、社員として雇用された喜びを純粋に有難いと思った人とは別人が、そこには存在する。
ここに落とし穴が生まれ、その落とし穴を自ら掘り進んでいる自分には気づかず、どんどん深みにハマっていき、気づいたら自からの力では穴から出れなくなってしまってしまう。
自分で穴掘って上がれなくなるなんて、何をしたいか分からない。
入社当時より一部の人間関係を優先して、いつの間にか、何を目指して今自分がいるかを失ってしまうことは、稀ではないのだ。
嘆き愚痴をこぼす自分に更に磨きをかけてしまった自分に気づき、なんとか這い上がろうとするが、原因をつくった者に手を貸す人は少なく、後悔の念が襲うのだ。
人は寒さを凌げ、布団で眠ることができることに感謝する状況にやっとたどり着いたとしても、時が経つと「慣れ」、不満どころか不幸や差別だと有難さよりないものに目が向いてしまう。
感謝を忘れたとき気づかされることが起こる
身の回りには、感謝できることがたくさんある。
感謝できることで大きく人生は変わり出すが、その小さな足りてるものにも目線が向かないのだ。
幸せや豊かさは、他人よりも多く持っていることや、隣の家より大きな家、車はベンツと思っているから、比較することが人生の基準になってしまっているのは残念だ。
比較はただの見栄であり、ただの無知と言える。
他人に羨ましがられることが、カッコよく素敵で輝く人生だと信じてる。
若気のいたりという言葉があるが、ツケは必ず回ってくるから気づく時まで仕方ないのだ。
今の目の前の状況は良くも悪くもなく、自分のフィルターを通してどのように見るかで、受け止め方を変えることができる。
その受け止め方が変わると、人生も変わっていく。
思考が変わらなければ、状況は変わらないし、うまくいくことは厳しいと言わざる得ない。
今いる場所が、あなたに必要で、その場所で感謝とともに生きることができれば、早晩、次のステップのオファーが届くようになる。
そこを理解して、外を変えようとせず内を見つめることだ。
内面を見つめ、感謝ができるようになれば、外の出来事を変えようとしなくなるから、視点が変わるのだ。