何故願いは叶わないか!には前提に原因があったのだ。
達成したいこと、手に入れたいこと、希望を叶えたいことがありながら、なぜ、同じループを繰り返し、毎回叶えたい願いに届かないままとなるのか。
実は、願いは叶え始めようとしてた時点で、結果は出ていたのだ。
つまり願い、は全て叶っていたということだ。
何かを求め欲しがる事は、欲しがるその元になる物や希望が実は、「ない」という前提があって初めて欲しがるという思いが湧いてくるのだ。
どういうことかというと、お金が欲しい、幸せになりたい、愛されたいっていう願いは、その前提として、「お金がない、幸せじゃない、愛されてない」という前提がなければ願わないとなっているのだ。
「願いを叶える自分に成る」ブログでは、アファーメーションをやったりする現実的な行動を起こし、自分を愛したり、願うことを手に入れる為の手段を紹介しているが、実は何か行動を起こすことでは、願いは叶うことも叶わないこともあるのだ。
だが、アファーメーションと前提の内容は矛盾していない。
なぜなら、その人の意識段階で気づくための段階が必要だからだ。
詳しくは割愛して、アファーメーションの記事を読み進めて、違いに気づいてほしい。
ここでは、前提についてさらに詳しく紹介していく。
前提思考が、愛されてないという前提からは、手段や行動を起こしても、愛されてないという結果につながってしまう。
お金がない、という前提から、手段や行動を起こしても、お金がない、という結果につながってしまうのはなぜか。
つまり、手段や行動を起こそうと、実際にそれを手に入れたか入れられないかに関わらず、前提として「ある」か「ない」かが、鍵を握っているのだ。
先の例で、お金がある、愛がある、幸せである、という前提だと、そもそも初めから「ある」という思考のため、願うことも欲することもしないしできないことである。
既に「ある」ため、何も望まないしすることはないのだ。
すべてある、という前提からは、全てある、という結果しかうまれない。
・愛がある、という前提からは、愛がある、という結果がうまれている
・お金がある、という前提からは、お金がある、という結果がうまれている
・幸せがある、という前提からは、幸せがある、という結果がうまれている
このように、前提と結果は過程に関わらず、直結してるため、望みの願いを叶える思考はできないし、欲することもしないということであり、前提のまま、結果はあるということなのだ。
何を望もうと願おうと、前提が「ない」ということであれば、何をやろうと結果は「ない」を叶えてしまう。
ということは、前提を「ある」と認めるだけで完結するため、願いを叶える!という思考も行動も起こさないということ。
ゆえに、願いを叶えたいならば、前提を「ある」という思考認識の変更が必要となる。
「ある」が前提にあれば、手段のプロセスは必要なく、前提は結果を生んでるため、手段は必要なく「ある」で完結である。
今ある体験の現実は、願いを叶えるために手段をとってきた結果が出来上がっていると認識できると「ある」に気づける可能性が高い。
結果を変えるということは、原因=前提を変えることで、願いを叶える=手にしてるを知ることができるのだ。
望みや願いを叶えてる人は、みな、意識的にせよ無意識的にせよ、前提を「ある」と認識しているという訳だ。
希望や願いを叶えられないでいる人たちは、前提認識を「ある」に出来ないでいることを、認識できなければならない。
前提を「ある」と認識できなことを変更するためには、いくつもの手段や取り組みがある。
そのひとつの手段が、アファーメーションでもある。
だが、本当は手段や段階なんて必要なく、『たった今から私は前提を「ある」にする』と決めるだけでいいのだ。
決めるとは、「覚悟」するということ。
思い込みや思い込もうと努力することとは違う。
覚悟ができないと、後からあ~だ、こ~だと「出来ない」言い訳を自分にしてしまうだろう。
しかし、覚悟するためには、「ある」の認識にたどり着く(たどり着くという段階も実は必要ないのだが)ための、過程や手段が必要な場合もある。
その過程を経ないと、何やっても叶わないって気づけないからだ。
必要のない過程だが、意識段階では必要な過程でもある。
スタートとゴールは同じ場所だと気付くために。
理解できるできないが分からなくても、「既にある」を前提とする思考が、願いを叶えるではなく、願いは叶うもしくは願いは叶っているが実現するのである。
このような経過で気付きもあれば、ない場合もあるが、何かに気付く必要な過程があって気づくことになる。
「ある」に気づくには、学ぶ際にさっとできなくても、繰り返すことで少しづつ変われていけばいい。
願いを叶える時点で、手段や行動は「何かしないと叶わないという前提」つまり、思考があるのが前提となっいる。
どのような手段や行動を通っても、行き着く先は「ある」という意識である。
何かをしたり、何かの道を通ったから行けるわけではない。
手段は本当は全く関係なく約束されるわけではなく、前提が願いを叶えるために大事な前提なのだ。
手段は関係なく、前提が結果と繋がってる。
「前提」を「ある」に意識下で変えることができれば、願いを叶える!という思い、思考は必要ではなくなるのだ。