恋をすると、相手を自分にとり「都合良く見てしまう」感情で脳が埋め尽くされる。
「アバタもエクボ」ということわざがあるが、アバタさえエクボに見えてしまうほど、恋してる人は特別素敵に見えてしまうのだ。
「恋は盲目」と言うのは、こんな状態になっているから好きな人しか見えないのだろう。
恋をすると都合良く捉えるとはどういうことか
ある用事で待ち合わせをしたとしよう。
待ち合わせの相手が、仕事の仲間や同級の異性だとすると、待ち合わせ時間に何の連絡もなく、こちらからの連絡もつかない場合、
「どうして連絡もしてこないんだ!」「ホント、失礼!気遣いもできない奴!」
と、内心怒ってしまうかもしれない。
一方、待ち合わせの相手が、恋をしている、好意を持っている相手の場合、
「どうしたのかなあ?」「もしかして、何かあったのかも?」
と、心配や気遣いの思いが湧いてくるのではないだろうか。
「好き」という感情は、欠点が見えなくなり、ありのままを写し出せなくなる。
ギャンブル好きで働かない相手も「正当化」してしまい、溺れていく危険がはらんでいる。
何故このような状態にあっても変われないのか?
その怖さは、「嫌われたくない!」「捨てられたくない!」という想いが「認識」を歪めてしまうからだ。
また、「私が選んだ人は本当に私のことを好きで、純粋に私を選んでくれた人!」と、自己防衛本能という自己承認が働き、自己の愚かさや間違いを認めたくない心理が働いてしまうため、「間違いない!」「本当はこんな人じゃない!」と自己否定を回避するために起こってしまうのだ。
嫌われたくないではなく、「自己肯定!」を自己が認めたくないのである。
この魔法のような錯覚した脳のしびれが、「恋」という手に負えない暴君を生んでしまう。
それでも互いが幸せなら、他人に迷惑をかけないでいるなら、脳はしびれたままでいいのだが。